プロフィール

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Mijah-Profile

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Mijah (ミジャ)

1983(昭和58)年10月10日生まれ。
沖縄県那覇市出身。
愛知県小牧市在住。

小さな頃から「落ち着きのないヤツだ」と言われてきたが、それが今の旅好きにも影響しているのかもしれない。
顔つきはちょっと濃いめ、と表現すれば良いのだろうか?沖縄らしい顔つきではあるかも。 ちなみに、台湾の方に「Philipino?」と聞かれた事がある。そんなに濃いか?

 

1990年3月下旬。人生で初の骨折(右手首)を体験。原因は、母親にブランコを漕いでもらっている最中に、「スーパージャンプ!」などと叫びながら思いっきりブランコを飛び降り、着地に失敗した事による。
⇒右手にギプスを嵌めた状態で小学校の入学式を迎える事になる。いや、虐待なんかじゃないんです。
⇒当然ながら右手は使えないので、暫く左手で字を書いたり箸を持ったりする。「左手でよく書けました」と担任よりお褒めの言葉を貰う。ありがとうございます。

 

1991年。那覇市内の範囲ではあるが、引越しに伴い、小学校も転校となる。
⇒しかし、新居の完成よりも転校の方が先であった為、それまでは古い家から片道2kmほど歩きで転校先へ登校する事に。
⇒新居完成前に夏休みに突入。ラジオ体操は、転校先のすぐ隣の公園で行われていた為、体操だけの為に、歩きでそこまで向かう事に。移動時間の方が圧倒的に長いんですが、それは。

 

小学校3年あたりから私のあだ名が「ミジャ」でほぼ浸透するようになる。

 

2000年10月頃。今度は左手首に亀裂が入る。サッカーをやってて。足ならまだしも、なんでサッカーで左手首をやられるんだ?
⇒最初は捻挫かな?と思っていたが、いつまでたってもズキズキと痛むので、念の為に病院に行ってみる事に。素人でもパッと見で分かるレベルで、1筋の亀裂がレントゲンには写し出されていた。

 

​2001年4月、那覇西高校を卒業後、専門学校進学のため大阪へ移動。なぜ沖縄から離れたかというと、「沖縄以外の場所に住んでみたい」というそんなしょーもない理由で。ちなみに、コンピュータ系の専門学校であったが、現在の仕事ではプログラム等は一切使用しない。あれ?どうして専門学校に行ったんだ??
某ファーストフード店でバイト(ばかり)しながら2年間過ごす。本業そっちのけ。だからなぜ専門学校に (略)
​⇒最初の内は沖縄の方言が思わず出てしまうために「日本語喋って!」などとつっこまれる。いや、沖縄の方言だって立派な日本語の一つなんだ!と言いたかったが、言わずにのみこむ。挙句の果てには「いつ日本に来たんですか?」などとも聞かれる。おい。
​⇒その内沖縄弁と関西弁が混じった奇怪な言葉をマスター。
 例)それめっさてーげーやん 訳:それ滅茶苦茶てきとうだな
​⇒仕方が無いので、標準語の練習を開始。
​⇒すると今度は「東京の方ですよね?」とか「何かクールな人ですね」などと言われる。
⇒だが訛りはどうしてもとれない。

 

2004年2月頃。人生初のインフルエンザにかかる。40度近い高熱の状態で地下鉄に乗り、電車を降りた瞬間、1m先の人の顔すらぼやけるレベルの目まいに襲われる。何とか改札前まで来たものの、ポケットに入れた切符を取り出すことができず、「ちょっと休もう」と思った瞬間から意識が暫く飛ぶ。駅員さんの「大丈夫ですか~??」という声で気が付く。
⇒人生で初めて救急車で搬送される。というか今思えば本当にはた迷惑な話だ。

 

​2004年4月より就職。最初は近江八幡市の会社に集合としか聞いてなかったが、その日の内に「では早速、福井の方に行ってもらいます」と言われ、そのまま福井県は上中町(現・若狭町)に連れていかれる。荷物は大阪に置きっぱなし。そんな話、ありましたっけ?
⇒仕事内容は、プラズマテレビのガラス基盤の検査。専門学校の事はつっこんではいけない。
⇒そのまま山と畑しかない場所で8ヶ月間過ごす。近場の「PLANT2」という、ホームセンター+スーパーマーケットとも言うべき大型スーパーが、最大にして唯一のオアシスとなる。

 

​2004年11月中頃。仕事内容の変更に伴い、滋賀県日野町に移動。やはり山に囲まれた場所に住み着く。
⇒次の仕事内容は、ざっくり説明すると、大型の自動倉庫の搬送装置の試運転。
⇒人生で初の「雪のある生活」をここで迎える事になる。そりゃもう、最初の内はすごくはしゃいだものです。というか今でも雪を見ると気分は高揚する。
⇒​ここから出張が多い仕事体系となる。
⇒人生で初の海外への移動、即ち海外出張を経験する。行先は韓国。移動日の夜、「お前、沖縄出身なんだろ~」などと、現地の酒(ソジュ、メクチュ)をしこたま飲まされ、翌日、見事に二日酔いとなる。水を飲む事ですら吐き出すほどの、強烈な地獄の二日酔い状態で、初日の説明などを受ける事に。
⇒韓国へ2ヶ月ほど出張へ行き、2ヶ月ほど日本で過ごすという生活を約2年間繰り返す。1度だけ中国へ2週間、という変化球あり。パスポートの半分は韓国との往復で埋められる。

2007年10月頃より、仕事で台湾へ1年半という長期に渡り出張。台湾の魅力にどっぷり惹きこまれる。
⇒何の魅力かって?それはスナックでしたよ。週1、2回は行くレベルで通いつめていた為、せっかくの出張手当は、そこにほぼ吸収されていく事に。
​⇒10​kgほど急激に太ってしまい、台湾に遊びに来た親にすら「一瞬誰か分からなかった」などといわれる。


2009年4月。沖縄へ4ヵ月ほど帰郷。リーマンショックの影響をモロに受ける事に。が、家に自分の居場所はもはやあまりナシ。
​⇒仕事を探しがてら、鈍りに鈍った体を何とかすべく、ジョギングを開始。この4ヶ月間で何とか8kg​ほどの減量に成功する。
​⇒久々の沖縄での暮らしは、懐かしいと思う反面、妙な違和感すらあった。本土での生活がよっぽど身に染みていたせいなのか?

 

2009年8月下旬、何とか仕事を見つけ、愛知県岡崎市へ移動する。およそ8ヶ月間をここで過ごす。
⇒幸田町の大手の工場にて、一眼レフカメラの組み立てをする。専門学校?そんなトコも行ってたような……。
​⇒職場の中国人研修生20名余り(全員女性)やブラジル人の方々と仕事をする。うん、薄給である事を除けば、これはこれで面白かったな。
⇒薄給である故、夜間も某ファーストフードでバイトを始める。バイト先は、自転車で片道20分ほど掛かる場所。大体夜の9時~1時頃まで働き、翌朝7時に起きて本業へ出発する生活を送る。我ながらよくやっていたもんだと感心する。

 

2010年4月。仕事先、バイト先の方々と仲良くなったと思ったら、再び滋賀県日野町へ仕事の場を戻す事に。
​⇒久々の韓国出張、中国出張を織り交ぜつつ日々を過ごす。
⇒海外出張をすると太るようになってしまったようだ。食事が口に合わないとお菓子を代わりに食べてたりしてたのが原因の大半を占めていると思われるが。

 

2012年3月、仕事内容の変更にともない、生活の(基本的な)場を再び愛知県に移す。
⇒小牧市を拠点に、全国ドサ回り的な出張の日々を送りつつ、現在に至る。

 

▶ CONTACT 

aimmijah@gmail.com

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