招き猫に招かれて… 招き猫探訪の旅
ダルマや福助と並ぶ定番の縁起物として、日本独特の文化を形成している招き猫。
手を挙げて人を手招くしぐさをしている、特徴的な招き猫のポーズ。昔の人は猫に不思議な力があると信じていましたが、その思いがそのままこの招き猫に具現化されているようです。
近年では国内のみならず、中国を始め、アメリカ等の海外においても注目を集めている招き猫。
今回は、そんな招き猫の歴史と特徴をまとめつつ、招き猫探訪の旅へと皆さまをご案内いたします…。
【招き猫探訪の旅・目次】
◆招き猫関連記事一覧◆
・『招き猫ミュージアム ~愛知県瀬戸市で招き猫に魅了される~』
・『岡山県「招き猫美術館」 ~700もの招き猫に招かれる~』
・『東京都・豪徳寺 ~ひこにゃんモデルの招き猫発祥の伝説~』
・『今戸神社 ~招き猫と縁結び、福を招く東京浅草の神社~』
・『お松大権現 ~1万の招き猫に埋め尽くされる猫神様を訪ねて~』
招き猫探訪の旅への誘い
招き猫探訪の旅への誘い
客を呼び込み、福を招く縁起の良さから、千客万来、商売繁盛の願いとして店頭にちょこんと鎮座していたり、一般家庭においても家内安全、財運出世の願いとして玄関に置かれたりする、マスコット的存在と言っても過言ではない招き猫。
そんな招き猫に囲まれたら、一体どんな大縁を呼び寄せてくれるのだろうか?
その願いを叶えてくれるような場所が、国内には存在します。
招き猫の手招きに気の向くまま導かれ、良縁パワーをもらう旅に出てみるのはいかがでしょうか?
豪徳寺
東京都世田谷区にある、招き猫発祥の地として知られている寺院です。
この豪徳寺では、招き猫の事を「招福猫児(まねぎねこ)」と称しており、境内の「招猫殿」の脇には、大小様々な招き猫(招福猫児)が、溢れんばかりに立ち並んでいます。
さほど広くない場所に、数多の白い招き猫がビッシリと埋め尽くしている光景には、ただ圧倒されるばかりでしょう。
都心からは若干アクセスしにくい場所にありますが、招き猫探訪の旅にもってこいの場所と言えるでしょう。
お松大権現
徳島県阿南市にある神社で、“猫神様”という愛称で親しまれる神社です。
村の長から不当な対応をされるも、自信の正義を貫いて処刑されたお松。その愛猫が怪描となって、村の長や賄賂を受けていた奉行に災いをもたらす。
「日本三大怪描伝」の舞台の一つとして知られる場所で、正義に殉じたお松の生涯と美徳を偲ぼうと、その愛猫と共に祀るようになったのが、現在のお松大権現の始まりと言われています。
約1万もの招き猫がビッシリと並ぶ光景は圧巻です。
今戸神社
東京都台東区にある神社で、こちらも豪徳寺同様に「招き猫発祥の地」を謳う神社として知られています。
豪徳寺やお松大権現のように、ビッシリと招き猫が並んでいるわけではないので、この2ヶ所ほどのインパクトは感じられないかもしれませんが、本殿内に鎮座している、高さ1.5mはあろうかという巨大な招き猫は一見の価値があります。
縁結びの神社としても有名であり、境内からスカイツリーも見上げる事ができ、招き猫の歴史と縁結び、そして東京らしい風景を同時に楽しめる、ある意味で贅沢なスポットでもあります。
常滑 (とこなめ)
愛知県常滑市は、常滑焼で知られており、招き猫の生産量が日本一となっています。
それを象徴するかのように、巨大な招き猫の『見守り猫 とこにゃん』が来訪者を歓迎し、路地を歩いて行けば、陶磁器で造られた道や工芸品の数々など、道行く人々を楽しませてくれます。
中部国際空港セントレアから近い事もあり、名古屋へ寄る道中、或いは帰る直前の寄り道に、常滑の芸術に触れてみるのも面白いでしょう。
招き猫よもやま話・雑学
招き猫よもやま話・雑学
そもそも招き猫とは一体どういったものなのか?
日本では知らない人がいないほどにまで知れ渡っている招き猫。しかし、何となく縁起が良いもの、という事は知っていても、その歴史等についてはよく分からない方も多いかもしれません。
由来や誕生秘話などが気になる方もいらっしゃる事でしょう。
そこで、ここからは招き猫にまつわる、よもやま話、雑学を (大雑把に) まとめていこうと思います。
イエネコのルーツ
まずは、招き猫のモチーフとなっている、猫の歴史について、簡単に説明しておきましょう。
犬に並ぶ代表的なペットである猫。
世界中で飼われている、このイエネコ(家猫)の祖先は、リビアヤマネコとされています。
直接的・系統的起源は明らかになっていないようですが、エジプトのピラミッドから190体もの猫のミイラが発掘され、このうちの3体を除く全てがリビアヤマネコと鑑定されました。
さらには、キプロスの9500年前の遺跡から、人間とリビアヤマネコと推定される骨が出土し、これを最古の飼育例とする説もあります。
ネズミや猛毒を持つコブラ等のヘビといった、害獣駆除の為に、猫が家畜化され始めたものと考えられています。
猫の渡来
猫が日本にやってきたのは、平安時代または奈良時代という説がありますが、定かではないようです。
しかし、平安時代に、中国から運んだ経典をネズミに喰われないよう一緒に渡来したのが、文献に残る最古の記録となっています。
当時の猫は大変貴重で高価な存在となっていました。
猫が庶民の間で飼われるようになり、暮らしの光景の一つになっていったのは、江戸時代になってからの事です。
招き猫の誕生、三つの説
ダルマや福助と並ぶ縁起物として、日本独特の文化を形成している招き猫が誕生したのは、江戸時代の事。
その誕生には三つの説があります。
ある日、寺の門前で、しきりに手を挙げて手招きをする珍妙な猫の様子に、思わず立ち寄ってしまった武士たちがいました。
その一人こそが、彦根藩主の井伊直孝(いい なおたか)であり、やがて豪徳寺は井伊家の菩提寺にまでなり、発展を遂げました。
やがてその愛猫が他界すると、「招猫堂」を建てて猫の姿を祀り、これを招福猫児(まねぎねこ)と称え崇めるようになります。
◇こちらの記事も参照ください◇
薄雲は、愛猫の為に友禅で座布団を作り、緋縮緬(ひぢりめん/緋色の縮緬(絹織物)の事)の首玉をして純金の鈴をつけて可愛がっていましたが、周りからは猫に取りつかれたと囁かれるようになります。
ある日、薄雲が厠(かわや/トイレ)へ行こうとすると、その猫が彼女の裾を咬んで離しません。それを見た三浦屋の主人は、化け猫かと怪しみ、猫の首をはねてしまいます。
その首は宙を飛び、厠の下で薄雲を狙っていた大蛇の喉首に食らいつき、殺します。猫は薄雲を大蛇から守ろうとしていたのでした。
愛猫の死をひどく嘆いた薄雲の話を聞いた日本橋の唐物屋の主人は、長崎から加羅の名木を取り寄せて愛猫の姿を掘り、薄雲に贈りました。
そして、この猫の模造品を、徳の高い猫という触れ込みで浅草の「歳の市」で売り出したところ、大繁盛となりました。
その夜、老婆の夢枕にその猫が現れ、「自分の像を造って祀ればご利益がある」と告げました。
その教えを守ったところ、老婆に利益が訪れ、幸せに暮らす事となります。
そして、その噂が広がり、裏に丸〆の印を付けて造った今戸焼の猫の土人形が、浅草神社の傍らで売り出されて大きな評判となり、縁起を呼ぶ招き猫として大流行となりました。
◇こちらの記事も参照ください◇
何れも江戸時代の江戸での出来事です。
手を挙げて“おいでおいで”をしている招き猫のポーズは、中国古典の「顔を洗う猫の手が耳を越せば客が来る」という俗信がもとになったとされています。
瞳の大きさが変化する、暗い所でも目が見える、高い所から落ちても死なないなど、昔の人は猫に不思議な力があると信じていました。
中には、猫が顔を洗う仕草で明日の天気を占う地方もあったと言われているほどです。
ちなみに、毎年9月29日は「招き猫の日」となっています。
ただし、これは招き猫が福を呼ぶ事から、「929」を「来る福」読み、日本招猫倶楽部が1995年に制定したもの。
招き猫が誕生した日ではありませんので、悪しからず。
最古の招き猫
招き猫発祥については、『招き猫の誕生』の項でも説明した通り諸説ありますが、何れも伝説の域を出るものがありません。
しかし、そんな中でも「説その3」の裏に丸〆の印を付けた『丸〆猫 (まるしめねこ)』と呼ばれる今戸焼・今戸人形の招き猫が、実在する最古の招き猫、或いは遡る事のできる招き猫の起源と呼ばれています。
「横座りで頭を正面向きにして招く」ポーズが基本で、背面腰の辺りに、丸印に〆の陽刻がある事が特徴となります。
丸〆は「金銭や福徳を丸く勢〆ると」という、縁起かつぎの意味合いを持ちます。
左手挙げと右手挙げの違い
招き猫には左手挙げと右手挙げの違いがある事にお気づきの方もいらっしゃると思います。
左手挙げが「人招き」、右手挙げが「金招き」と言われています。
左手を挙げている招き猫は雌猫で、千客万来や縁結びに効果があり、右手を挙げている招き猫は雄猫で、金運や幸運を招くとされています。
※由来までは詳細不明のようです…。
手を高く挙げていれば、遠方からの客も招くと言われており、自分の頭よりも高く手を挙げているものもあります。
中には「人招き」「金招き」の両方を表した両手挙げの招き猫も。
ただし、この両手挙げは「欲張りすぎてお手上げになる」という考え方があったり、破産や玉砕などの『バンザイ』とかぶる為、不吉であるとも言われています。
もちろんこれは俗説に過ぎないので、どのように捉えるかはあなた次第。
また、時代の変化にともない、「恋愛」「長寿」「宝くじ祈願」など、様々な御利益が付与されるようになっています。
昔の京都では、右手挙げの招き猫は昼間の商売繁盛を招き、左手挙げの招き猫は夜の商売が繁盛するように置かれていたとの事ですが、現在ではそのような意味合いはないそうです。
ちなみに、東京・豪徳寺の招き猫は小判を持たない右手挙げの素朴な姿となっていますが、「金招き」とは意味が違っています。
武士にとって左手は不浄である為、右手挙げとなっている。また、小判を持たないのは、機会は与えてはくれるが、結果を得られるかどうかは本人次第である、という意味を表している説があるようです。
ただ単純に招き猫を崇める、即ち他力本願な気持ちでは、運を掴み取る事は出来ないという事なのかもしれません。
なかなか現実的。
招き猫の色と意味
色んな招き猫を見ていると、よく見かける白基準の色を始め、金色や黒色など、色違いの招き猫がある事が分かると思います。
もちろん、単なるカラーバリエーションではなく、それぞれの色に意味があります。
主に使われている4種の色について説明しましょう。
―白猫―
招き猫の基本色とも言える白色。
白に黒ぶち、灰色、薄茶色に黒ぶちの三毛猫も多く見られます。
白い招き猫は福、金、客を招くとされています。
―赤猫―
「赤もの」と呼ばれ、病気大厄呪禁の願いと家内安全に効果があるとされています。
赤一色、或いは背面だけを赤く塗った土人形や張り子の玩具類は、子どものいる家で見られました。
麻疹、疱瘡(ほうそう/天然痘)が赤を嫌うとされ、枕元に置かれました。
―黒猫―
黒は不気味さや不吉さを連想される方もいらっしゃるかもしれませんが、黒い招き猫には魔除け、除難免災の意味があります。
また、「黒猫は客を招く」とも言われています。
―金猫―
金色は風水で高い金運効果を持つとされており、金、福を招くとされています。
白猫に次いでよく見かける色です。
―その他―
緑…家内安全、交通安全
黄…金運、縁結び
青…学業向上
桜…恋愛成就
日本各地の招き猫の特徴
一口に招き猫と言っても、その種類は思った以上に多種多様。
そして、地域によって、その特徴も変わっていきました。
ここでは、特徴が色濃く表れている地域の招き猫について、まとめていきます。
―東北―
深い雪と厳しい寒さに閉ざされる期間が長い東北地方では、明るく華やかな陶芸品や玩具が多く、招き猫もその例外ではありません。
色とりどりの前垂れや、身体の花模様などが特徴的となっています。
―関東―
招き猫が誕生した江戸、東京。養蚕が盛んな地域である為、蚕の大敵であるネズミ除けの守護神として招き猫がもてはやされました。
その多くは豊作祈願のダルマと同様に張り子で制作されました。
―東海―
静岡、愛知、岐阜も招き猫の豊富な地域で、「三河系」と呼ばれる土人形は大型のものも多く、迫力があります。
現在の招き猫のスタンダードとなっている常滑(とこなめ)系の招き猫も、愛知県の郷土玩具、乙川人形がルーツと言われています。
―近畿―
「全ての土人形の祖」である伏見人形は、圧倒的な質と量で他の追随を許さず、その影響を最も直接的に受けている地域です。
また、羽織や裃(かみしも)を着けた、福助の招き猫バージョンのような「初辰猫」発祥の地としても重要な地域となっています。
招き猫の産地
招き猫は一体どこで作られているのか?そして、そこにはどんな特徴があるのか?
招き猫の産地は、主に常滑(とこなめ)、瀬戸、そして九谷(くたに)の三ヵ所が知られており、それぞれに特徴が見られます。
簡単にまとめてみましょう。
―常滑(とこなめ)―
二頭身のふっくらとした体つき、大きな目、しっかり抱えた小判と、現在のスタンダードな招き猫といえばこの常滑焼。
日本一の生産量を誇り、海外にも幸福の使者として輸出されています。
常滑焼は、愛知県常滑市を中心に、知多半島内で生産されている陶磁器です。
―瀬戸―
愛知県瀬戸市とその周辺で生産されている瀬戸焼。
「瀬戸物」の焼物が代名詞となるほど有名な陶産地で、瀬戸焼は日本三大陶磁器の一つとして知られます。
瀬戸の招き猫は本物の猫に近いはっきりとしたスタイルと、磁器のなめらかな肌が特徴となっています。
※ちなみに、日本三大陶磁器のあと二つは、美濃焼、有田焼とされています。
―九谷(くたに)―
九谷焼の招き猫は持つとずっしりとした重量感があり、磁器の肌に五彩や金の絵付けが華やかで人気があります。
古いものや大きいものほど眼光鋭い「オトナ猫」の顔立ちをしていますが、最近ではその九谷焼でも愛らしい顔立ちの子品が売れ筋となっているようです。
ちなみに、九谷焼は現在、石川県の金沢市から能美市までのエリアで主に生産されています。
アメリカの招き猫
国内のみならず、海外においても、日本の招き猫の認知度は高くなってきています。
中でも面白いのは、アメリカ版の招き猫。
通常、招き猫の手は、手のひらを正面に向けていますが、アメリカでは手の甲を正面に向けたポーズをとっています。
これは、アメリカにおける人を手招くしぐさが、日本とは逆である事から、このようになっているのです。
よく漫画や映画などで「カモ~ン」などとジェスチャーする場面があるかと思いますが、それを思い浮かべていただけると分かりやすいかと思います。
(挑発の意図として使われる場合も多いですが…)
逆に、日本の招き猫のようなしぐさをすると、アメリカでは「あっちに行け」という意味に捉われてしまいます。
もし、アメリカの方へのお土産に招き猫を贈る事を考えている場合、この辺りの注意が必要となってきますので、気をつけましょう。
せっかくの善意が嫌味に捉われてしまうのは、避けたいところですね。
どうしても日本の招き猫を、という場合は、「日本だと人を手招くしぐさはこうなんだよ」と、しっかり説明したうえで贈るのが無難かもしれません。
アメリカ版招き猫、手の向きだけでなく、小判の代わりにドル硬貨を抱えている、目の色が青いなど、日本版の基本をきちんと押さえたうえで、しっかりあちらさん向けにアレンジされているのが面白い。
違いを楽しむ為に、敢えてアメリカ版を自分の家に置いてみるのも良いかもしれません。
ちなみに、招き猫は英語で「Beckoning cat」 (ベクニング・キャット) と言います。
※Beckoning = 招く、cat = 猫 ……まんま直訳です
「Lucky cat」 (ラッキー・キャット)でも通じるようで、意外な認知度の高さがあるようです。
そして、ドル硬貨を抱えている事もあって、「Dollar cat」 (ダラー・キャット)とも言います。
「Welcome cat」 (ウェルカム・キャット)でも通じるとか。
毎年主役が変わる、日本でもお馴染みの十二支。しかし、この12の動物の中に、なぜか猫が含まれていません。
これだけ人間と関わりの深い動物であるにも関わらず、なぜ猫が十二支に入っていないのでしょうか?
そもそも、12年で一巡する動物の組み合わせは、二千年以上も前に中国で誕生しました。十二支を動物と結びつけるのは漢の時代に始まり、年、月、日、時刻にまで干支が使われるようになりました。
十二支が日本に伝わったのは6世紀半ば頃で、一般市民の間に浸透したのは江戸時代頃と言われています。
では、なぜ十二支はあの動物なのか?
日本ではこのような民話が語り継がれています。
昔々の大昔、ある年の暮れのこと。神様が動物たちに、おふれを出したそうな。
「元日の朝、私のところへ新年の挨拶に来るがよい。一番早く来た者から十二番目の者まで、順番に一年間ずつ、動物の大将にしてやろう。」
動物たちは、我こそが一番だと、めいめいが気張って元日が来るのを待っておった。
ところが、猫は神様のところに、いつ行けばよいのかを忘れてしまったので、ねずみに聞いてみることにした。するとねずみは、「たしか二日とおっしゃったよ」とわざと一日遅れの日を教えてやり、猫はそれを真に受けて、喜んで帰っていったそうだ。
さて、いよいよ元日を迎えると、牛は「おらは歩くのが遅いだで、一日早く出かけるべ」と、まだ夜のうちから支度をし、出発した。これを見ていたねずみは、ぽんと牛の背中に飛び乗ったが、牛はそんなことはつゆ知らず、神様の御殿まで歩いていってしまった。
まだ誰も来ていない、我こそ一番。牛がそう喜んで待つうちに、門が開いた。すると、牛の背中からねずみがすかさず飛び降り、ちょろちょろ走って一番になってしまった。
それで二番になった牛に続き、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪の順で神様に挨拶をし、こうして十二支が決まったそうな。
ちょっとのことで遅れてきた狐や狸、熊はたいそう悔しがった。
そして、騙されて一日遅れでやってきた猫は、ねずみを恨んで、今でもその姿を見ると、追い回すようになったのだそうな。
他にも色々な類話が日本全国に伝わっており、
・遅れてきた猫が神様に「顔を洗って出直してこい」と怒られたために、猫が顔を洗うようになった
・猫がお釈迦様の薬を取りに行ったねずみを食べてしまったために、十二支に入れてもらえなかった
という話もあるようです。
中国等の漢字を使う国々や、中央アジア、ロシア周辺にもこの類話は伝わっており、ほとんどが猫とねずみが敵対するようになった、或いはねずみが牛にくっついていって一番になるという十二支のお話であるそうです。
招き猫の知識をさらに深める
招き猫の知識をさらに深める
ここまで読んでいただけた方は、招き猫について少し興味が湧いてきたかと思います。
私がここまでまとめたのは、雑学の一部に過ぎません。
国内には、そんな思ったより深い招き猫の歴史と知識について、数多の招き猫と共に展示している施設もあります。
是非そちらに足を運んで、日本が誇る文化の一つ、招き猫についての知識を深めてみてはいかがでしょうか?
招き猫ミュージアム
愛知県瀬戸市にある、日本最大級の招き猫の数々を展示する、招き猫専門博物館です。
千種を超える古今東西の招き猫がズラリと並び、招き猫の歴史や雑学、ゆかりの地など、様々な知識が学べると同時に、雑貨まで購入する事ができる、思った以上に充実した施設です。
残念ながら展示物は撮影禁止されていますが、展示階の2階に上がった瞬間のゆるい空気と厳かな空気を同時に味わう、独特の世界観に浸ってみてはいかがでしょうか。
招き猫美術館
岡山県岡山市の北区にある、招き猫専門の美術館。
開館25年を超える美術館で、スタンダードな招き猫から、ここでしか見られない珍しい造形のもの、アーティストとのコラボレーションものなど、多種多様な招き猫たちの数々に圧倒されます。
しかも館内の撮影も許可されていますので、お気に入りの招き猫たちを、自分のカメラに収める事ができるのも大きな魅力の一つ!
まさに美術館らしいアーティスティックな招き猫を楽しみながら、幸運願い掛けもできるパワースポットとしての一面も併せ持つ、唯一無二の施設です。
招き猫美術館in尾道
こちらは、広島県尾道市にある、招き猫専門の美術館。
小規模な美術館ですが、古民家を利用した趣のある建物の部屋に所狭しと招き猫が展示されています。
中でも、奥の畳の居間にある、大小様々な招き猫の数々は見ものです。ただし、残念ながら展示物の撮影は禁止。
上記の博物館、美術館ほどのインパクトには欠けるものの、坂道の町尾道の雰囲気ある路地裏・『猫の細道』に位置することもあり、自然とアートが織りなすアーティスティックで、どこか昔懐かしい独自の雰囲気に酔いながら、招き猫の知識を学ぶ事ができる、ユニークな場所です。
最後に
最後に
よく知っているようで、実は知らない事が多い招き猫。
ここでまとめた招き猫の歴史や文化は、一部に過ぎません。
福を招く招き猫。
もっと良い福を授かるための、招き猫探訪の旅に出てみるのも面白いでしょう。
リンク
■『今戸神社』公式サイト
■『お松大権現』公式サイト
■『焼き物と海と空の街 常滑』とこなめ観光協会
■『招き猫ミュージアム』公式サイト
■『招き猫美術館』公式サイト
■『尾道イーハトーヴ』
当たり前に身近にあり過ぎて
よく知らない招き猫の深い世界でした(^^
やはり尾道には行ってみたいですねぇ
yasuさん、コメントありがとうございます!
当然のようにあるものほど、奥深い歴史を持っていて、驚かされますね。
身近にあったものが、さらに面白く思えてきます。
尾道は実際に猫の姿もあちこちで見かける事ができて、猫と招き猫を同時に楽しめる場所でもあります!
坂道の街、そして猫の細道…
独特の昔懐かしいアーティスティックな街は、ただ歩き回っているだけでも十分に楽しめますので、是非一度足を運んでみて下さいね!