下関にて1 ~巌流島への旅~

下関駅01

下関駅02

特牛(こっとい)駅から山陰本線の列車に乗り込んで約1時間半。下関駅に到着。
山口県には出張でちょくちょく訪れてはいるものの、下関市内に降り立つのはこれが初めて。
まずは巌流島へ向かうべく、唐戸桟橋へと向かう。

唐戸桟橋01

唐戸桟橋02

巌流島へは下関や門司から船で訪れる事が可能。
下関市内からは、唐戸桟橋というところから連絡船が出ていますので、こちらで乗船し、島へと向かいます。

唐戸桟橋03

唐戸桟橋04

巌流島連絡船のダイヤはこちらを参照ください

唐戸桟橋05

約10分の船旅後、巌流島へと降り立つ。

 

巌流島01

巌流島。
関門海峡にある小さな島で、言わずと知れた宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地として有名です。
島の正式名称は「船島」というそうですが、小次郎の流派“巌流”にちなみ、「巌流島」と呼ばれるようになったようです。

 

 武蔵と小次郎
宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘したのは慶長17年(1612年)4月13日のこと。約束の時から遅れること2時間、武蔵は櫂の木刀をひっさげ素足で船から降り立った。小次郎は待ち疲れていた。小次郎はいらだち,刀を抜き放ち、鞘を海中に投げ捨てた。武蔵が近づくとともに,刀を真っ向に振り立て,眉間めがけて打ちおろした。同時に武蔵も櫂の木刀を打った。
~中略~
武蔵の打ちおろした木刀は、小次郎の脇腹、横骨を打ち折った。小次郎は気絶し,口鼻から血を流した。武蔵は手を小次郎の口鼻にあてがい,死活をうかがい,一礼して立ち去った。小次郎の唇に、微かな笑みが浮かんだ。そして、まだ見開いたままの小次郎の両目から,急に,生きている光が失せていった。激しい声を上げて、新之丞が泣き出した。ギラギラと光る海を,武蔵の小舟は,東へ向かって流れを変えた潮に乗り、下関のほうへ、ひた走るように影を小さくしていった。

-『門司港レトロインフォメーション』より一部抜粋-

 

巌流島02

巌流島03

巌流島04

巌流島05

島内には武蔵と小次郎の決闘を表した像や、小次郎碑などがあります…が、あるのはこれくらいのもんです。
もっと色んな資料や興味をそそられる様な施設があるかと期待をしてしまうと、拍子抜けしてしまうかもしれません。

巌流島06佐々木巌流之碑。一瞬小次郎の墓と思ってしまうかもしれませんが、船島開鑿工事完成を祝って明治43年に建立されたものだそうで、小次郎の墓ではないようです。

 

巌流島07

巌流島08

巌流島09

巌流島10

とはいえ、関門海峡の景色もなかなか良いものがありますし、途中の船旅も意外と面白いものです。
島内では釣りをしている人もいたので、釣り好きならこれ目的で行ってみるのもいいのかもしれない。

巌流島11

巌流島12

巌流島13

ちなみにこの巌流島、現在は無人島となっています。
帰りの船を逃すと、次の朝まで何も無い島内で過ごす羽目になりますので、注意。

巌流島14

巌流島15

そして下関へと戻り、市内のちょっとした散策をする事に。


リンク
『巌流島ホームページ』
『巌流島連絡船 -関門汽船株式会社-』
『巌流島連絡船 ダイヤ』

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